弘徽殿とはどこ?女御ってつまり側室のこと?

2024年2月12日月曜日

光る君へ

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大河ドラマ「光る君へ」で花山天皇の子供を妊娠した弘徽殿の女御っていますよね。弘徽殿とはどこ?


弘徽殿とは、平安京の大内裏の後宮にあった殿舎の一つで、皇后や中宮や女御などが住んでいました。現在の京都市上京区東神明町に弘徽殿の跡があります。弘徽殿は、『源氏物語』にも登場する有名な場所です。



弘徽殿の歴史について


弘徽殿は、平安京の大内裏の後宮にあった殿舎の一つで、皇后や中宮や女御などが住んでいました。弘徽殿は、天徳4年(960年)に火災で焼失し、河内国司によって再建されました。

その後も正暦5年(994年)と長保元年(999年)にも焼失しましたが、再建されました。弘徽殿についての記録は、世紀前半まで残されており、内裏が廃絶されるまで存在したとされています。


弘徽殿は、『源氏物語』にも登場する有名な場所です。

桐壺帝の妃で朱雀帝の母である弘徽殿女御や、冷泉帝の妃で内大臣の娘である弘徽殿の女御などが、物語の重要な人物として描かれています。


弘徽殿の跡は、現在の京都市上京区東神明町にあります。周辺には、大内裏の痕跡を示す碑が点在しています。弘徽殿の歴史について、簡単にご紹介しました。


女御ってつまり側室のこと?


側室とは、一夫多妻制の下で、正室に次ぐ地位の妻や妾のことです。
女御とは、天皇の後宮の身位の一つで、中宮(もしくは皇后)に次ぐ位の女性のことです。


つまり、側室と女御は、似たような意味ですが、側室は一般的な身分の高い男性の妻や妾を指し、女御は天皇の妻や妾を指すという違いがあります。


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